〝それでも生きていく〟って、いい言葉
2020年、明けております。
今年も皆様、暇つぶし程度に、ぜひよろしくお願いします。
さて、年末に余命宣告された父が、先日亡くなりました。
「そろそろやばい」と次女から連絡が来て、夜中に実家に駆けつけたときは割りと落ち着いていて、義弟に父を抜いた全員分のコーヒーをセブンに買いに行かせ、家族みんなで父を囲んでコーヒーパーティーをしました。
それは明け方まで続き、癌と闘う父は、おそらく、さぞかしうるさかったことでしょう。
叔母が、
「賑やかでね、お父さん、嬉しかったと思うよ」
と言ってくれたことが、救いです。
実家に連れ帰り、2日目のことでした。
父は末期ですでに飲み食いは出来ず、また、喋ることもままならなかったので、父の真意はわかりませんが…。
まず、うちは女系家族で娘は3姉妹、
次女が産んだ父からすると孫になりますが、それも2人姉妹、
母も3姉妹で、すぐ上の母の姉(叔母)も来てくれていて、
とにかく女だらけなので、1人が5人分くらい喋るわけです。
何なら一緒に参加した犬2匹も女なわけです。
わたしの旦那さんと次女の旦那さん(若旦那)も来てくれてましたが、
何つうかな、わたしの旦那さんは〝存在感が薄いことがアピールポイント〟を自称してまして、
若旦那も、すごくお喋りってわけでもなく、
女だらけの1クラス分くらいの姦しさをね、止めることは出来ないのです。
それが朝4時くらいまで続いてね、ほんと、角地の一軒家でよかったよね。
そんな中で、父を囲んだコーヒーパーティーなので「お父さん,こんなことあったよね!」っていう話題になるのは必然。
お母さんが、
「1度お父さんに別れ話したとき、歩道橋からものすごい鼻水垂らしてさあ。あれ見て、可哀想になっちゃって撤回したんだよねえ」
と話せば、
「お父さん、会社の誰かの法事に白いジャケット着て行った」
「田舎のおばあちゃんの7回忌も白い麻のジャケットだったよね」
「それいいの?って聞いたら、カッコいいだろって言ったよね」
「やばいよね」
とか、
「おばあちゃんの7回忌、お坊さん読経してる中、めちゃ接写してたよね」
「カメコの鑑」
「叔母さん泣いてたのにね」
「読経中、あんなにカメラ構えて動きまくる人、いるんだね」
「お坊さんの頭にフラッシュが反射してさあ」
「もう笑っちゃうよね」
からの
「あんた達がまだ小学校の頃、運動会のたびに堂々と校庭ど真ん中でカメラ構えてたよね」
「学校が頼んだカメラマンだと思われてたよね」
「カメコの鑑」
「翌年お母さんがPTA役員なってさ、絶対今年もやるだろうから、権限使って、学校公認カメラマンにしたよ」
もう、思い返せば返すほど爆笑。
マイペースな父だったなあと、今でも笑えます。
家庭では休日はもう朝から晩までソファに根が生えたかのように動かない父でしたが、社会では割りと立派な出世人だったようで、叩き上げで若くして重役にまで就いた人でした。
おかげでわたし達は何不自由なく、やりたいことをやりたいように、反対されることなく、本当に伸び伸びと育ててもらったなあと感謝しています。
父と共に会社で働いていた方からは、
「いつもお父さんの手帳には、君達3姉妹の写真が入っていたよ」
と聞かされ、涙が出ました。
「鈴木くんはなあ、変わった人だったなあ」
とも言われ、わたし達は「そうでしょうとも」と思えど、口に出すことはありませんでしたが。
「鈴木くんなあ、北海道に転勤してたとき、吹雪の中、崖から車ごと落ちそうになってなあ」
「そうなんですか……え、崖から?」
「運良く柱に車が挟まったんだよ。けど、車体半分は落ちてたなあ」
「半分は落ちてた」
「大丈夫かー!?って声掛けたら、鈴木くんなあ、あ、全然平気ですー!ってほんとに平気そうに…平気じゃないよ、全然。半分落ちてるんだよ」
「平気じゃないですね」
「大物になるなあって思ったよ」
そうですか。
「…って話、お母さん聞いたことある?」
「ああ、あるある。全然信じてなかったから、へーそう、くらいに返してた」
「可哀想だからやめたげて、そういうの」
わたしの性格はベースが父に激似なので、気をつけようと思います。
あんまり周りを気にしないというか…ほんと、気をつけよう。
滞りなくお通夜、告別式と終わり、父はお骨となって実家に帰って来ました。
お線香をあげて、リビングに戻り、皆でひと息ついたとき、母が言いました。
「お母さん、また、お笑い芸人やろうと思うの」
あ、うん、そっか。
いいんじゃないかな。
わたし達姉妹もね、やったらって言おうと思ってた。
したらば叔母さんがね、
「そっかあ…あ、わたしもやろうかな」
えっ?え、あ、いや、え、やるの?
叔母さんも?
山口に住んでるのに?
ネタ合わせとかライブとかの度に埼玉来るの?
いや、いいけど…マジで?
「えーっ、いいじゃん!一緒にやっちゃう?コンビ名、何にする!?」
「えーっ、どうしよう!?みっちゃん(母)は何がいいと思う!?」
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拝啓、お父さん
今頃は、三途の川への旅の途中でしょうか。
49日の間はお骨のある部屋は電気を点けたままでいてください、と、お坊さんに言われました。夜間でも、旅をするお父さんの足元が照らされるように、と。
今日、お葬式からまだ3日なのに、早速、電気が消えていましたね。誰が消したのかと思ったら、まさかのお母さんでした。
「日中明るかったから消しちゃった」
とのことだそうです。お母さんらしいですね。
あなたの孫達が大量に作った折り紙を棺に入れておりましたが、荷物になってはいないでしょうか。
「じいじのお部屋作ったの」
とわたしに見せてくれました。
謎の大きな紙に1つ大きな木が貼り付けてあるのは、お庭だそうです。
まさかの庭付き。折り鶴も何羽入っていたかわかりません。嵩張りますね。
あちらで紙袋を貰えるといいのですが。
ぜひ、閻魔様にも見せてあげてください。
お父さんのマイペースなところは、しっかりと、長女のわたしが受け継ぎました。次女と三女が、それはもうしっかりとしてくれたので、わたしはこれからもマイペースなままでしょう。
お父さんのように社会的に大成は出来ないようですが、毎日楽しく暮らしていけるとは思います。
天国では、おじいちゃんとチャミ(犬)とラブ(犬)とキュー様(オカメインコ)が待っていてくれると思うので、寂しくはないですね。
戒名にお母さんの名前を1文字、無理矢理入れました。
お母さんは、
「死んでまでお母さんに縛られるのも…」
と最後まで言ってましたが、娘3人で押し切りました。
お父さんは
「ママとおまえ達子供が溺れていたらママを助ける。おまえ達はもう大人なんだから、自分達でどうにかしなさい」
と言い切ったくらいにお母さんのことが大好きだったので、きっと、喜んでいるかと思います。ぜひ、道中知り合った方に、存分に自慢してください。
わたしは、そんなひたすらにお母さんのことが大好きなお父さんを尊敬していました。
1人のことをそこまで大切に出来るって、素晴らしいことだと思います。
わたしの理想の男性はお父さんだったのでしょう。そんな人と結婚しました。
もう、意思疎通が難しいときに報告したので、覚えているかは定かではないですが、結婚したんですよ。とても優しい人ですよ。
お父さんがいてくれたので、今のわたし達があります。
お父さんがいなくなってすごく寂しいけれど、お父さんがもう辛くないということだけが、唯一の救いです。
お父さん、ありがとう。
お母さんはまた、お笑いをやるそうです。ついでに叔母さんもやるそうです。
〝それでも生きていく〟って、そういうことなんですね。
まだ泣いてしまうこともあるけれど、わたしも、それでも生きていきます。
お父さん、だいすき。
いってらっしゃい。気をつけてね!
敬具、長女より