楽しいおばさん
気を遣い過ぎる人は溜まり溜まって、後々が心配。
気を遣わない人は溜まり溜まって、周りが心配。
毎日陽気に生きてる人は不安がないのか心配で、毎日憂鬱に生きてる人は楽しみがないのか心配。
要は、バランスのとれた生き方が一番だということです。
バランスって大切だよね。
ほんと、最近そう思う。
ほどほどに気を遣い、ほどほどに気を遣わず、ほどほどに楽しくやって、ほどほどに悩んで、ほどほどに平穏無事に生きてっつーのが理想なんですけど、
まぁ、いろんな人がいますから、難しいのでしょうね。
わたしともなるとこれと言った特出点がないので、もーね、笑顔と愛嬌のみを武器に人生綱渡りなわけですけど、
こちらの武器も、年増になってくると、だんだん厳しいものがあるなと思うわけです。
若さ故に通用してたとこあるわけです。
「いやーお姉さんずいぶん若く見えっから、まだまだ大丈夫だよー!」
っつーお客様方の盛り盛りなお言葉を信じて、まだ、ギリいけるんじゃないかっつー希望的観測は捨ててない。
捨ててない、つーか、捨てたくない。
の だ け れ ど。
先日、慕っている39歳のお姉様が、お客様に「おばさん」て言われてるのを目撃しまして。
あわや悲鳴を何とか飲み込み、何事もなかったかのように階下へ歩を進めてから大きく深呼吸。
大丈夫、何もなかった。何も聞かなかった。何もなかったのよ、何も・・・
なかったことには出来ねぇ・・・!
だってこれって、同級生のお母さんを「おばさん」と呼ぶのとはわけが違うでしょ?
自分の姪っ子に「叔母さん」と呼ばれるのとはわけが違うでしょ?
自分ですら、どこで誰に何と言われているのかわからない微妙な年齢(気付いたら33歳)を鑑みて、得体の知れない衝撃が走った。
わ
た
し
、
オ
バ
サ
ン
・
・
・
?
森高千里のように、わたしがオバサンになっても泳ぎに連れてってとかは言わない。
派手な水着は最初から着ないし、寧ろ海とかそんな好きじゃないし、何なら山も虫がいるからそんな好きじゃないし、連れてってくれるなら美術館とか博物館とかのが断然好きだし、今ならシルク・ド・ソレイユが観たいし。
行けるものならいつか、ルーヴル美術館で名画を前に打ち震えたい。
でもって、映画「ダ・ヴィンチ・コード」のラングドン教授さながらに、ガラスのピラミッド前で、膝を着きつつ手を組んで祈ってみたい!
森高千里レベルじゃないと、どれも無理ゲーな気がしてきた。
そして話がブレて逸れた。
よく耳にするのは
・自分が若いと思えば若い説
ですが、客観視点においてそれは当てはまらないじゃないですか。
・自分の子は確かに可愛いけど、はたから見て可愛いとは限らない
これと同じじゃないですか。
自己評価が無駄に高いと、空気読めない人になっちゃうわけで、それって気付いたら腫れ物扱いとかされちゃって、完全に痛い人なわけです。
そういうの困る。
平穏無事から遠ざかってる!
けど、出来れば若い子達とキャッキャウフフ〜♡つって楽しくやりたい!
ので。
楽しいおばさん目指して、楽しくやってこうと思います。
別に若くなくていい。
若い頃からババ臭いって言われてたし、事実として33歳だし。
妙に若いのも自然の摂理として不自然だし、普通が一番いいよね。
何が一番いいって、普通が一番です。
普通が一番難しい。
楽しいおばさん、いいじゃない。
楽しいおばさん、上等。
親近感なんかも兼ね備えてる。
そしていつか、八代亜紀のようなちょっと陽気な人になりたい。